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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款

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「懸其所仕之車置諸廟」漢詩文の落款

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仙台藩医・木村寿禎の落款

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断層画像写真

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女三の宮の降嫁、復元模型

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左が冷泉天皇、右が源氏の君の模型

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2千円札の裏面

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2千円札の裏面/左が冷泉天皇,右が源氏の君

京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵

自筆「源氏物語」の「鈴虫(すずむし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
「鈴虫(すずむし)」の巻は、アメリカでは1個所、国立民族学博物館の貴重書として所蔵されております。
日本でも「国立民族学博物館所蔵『源氏物語』鈴虫として画像(カラー写真)が出版されており、出品原本と照合することができます。

自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。

 関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)

 出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
 自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。


 大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。

 旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。


 出品した「源氏物語」は鈴虫(鈴虫)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。「鈴虫」の巻名は、八月十五日の夜、源氏の君と女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)が贈答した和歌「おほかたの下記をぼうしと知りにしをふりすてがたき鈴虫の声」による。夏、蓮の花の盛りの頃に女三のが持つ持仏の開眼供養が行われた。御帳台を仮の仏堂としては質素なものだった。父・朱雀院(前朱雀天皇)や今上天皇からの心寄せもある。八月十五日の夜、源氏の君は女三の宮の御殿(三条宮)を訪れ、鈴虫の音を賞美しながら女三の宮の和歌に唱和し琴も弾いた。そこへ蛍兵部卿や夕霧が訪れ管弦による演奏の宴になった。おりから冷泉院(前冷泉天皇)のお召しがあり、一同は参上し詩歌管弦の宴に興じた。冷泉院(前冷泉天皇)は源氏の君の訪問を喜び迎えた。冷泉院(前冷泉天皇)が私人として源氏の君と親しく対面することこそが退位閑居の目的でもあったからだ。


自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」と娘・幾千姫(玉映)の落款(印譜)

自筆上部の「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷ややかに)の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。押捺の詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載

《「源氏物語」鈴虫(すずむし)の巻》
「鈴虫」の巻は英文で「The Bell Cricket」と表記されます。
《原本上部に「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の
東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷ややかに)
という漢詩の落款が押捺。鈴虫の原文に引用されている。》

「額縁入自筆原本」
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)

「自筆原本」
自筆下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。

自筆上部の「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷やかに)という漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。

《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》

自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)


自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載

(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。


《「源氏物語」鈴虫(すずむし)の巻》
《原本上部に「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に
煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷やかに)「白氏文集」の漢詩の落款が押捺・鈴虫の原文に引用されている。》

《いそ》・・・・かされ給(たま)ひて、かく、「心安きさまに」と、
おほしなりけるになむ。中宮そ、なかなかまかて給ふことも、
いと難くなりて、たゝ人の中のやうに、ならひおはしますに、
今めかしう、なかなか、むかしよりも花やかに、御あそひをもし給ふ。
なにことも、御心やれるありさまなから、たゝ、かの宮す所の御事を
おほしやりつゝ、行ひの御心すゝみにたるを、人のゆるしきこえ給ふ
ましきことなれは、功徳のことをたてゝ思しいとなみ、いと心(こゝろ)
ふか(深)う、世中をおほしとれるさまに、
なりまさり給(たまふ)。六條の院


(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。



(2)・自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。


《「源氏物語」鈴虫の巻》
《「鈴虫の巻」国立民族学博物館に1部現存の原本と同じ「鈴虫」の貴重書
《夏、女三の宮(朱雀天皇の皇女)三条院(三条殿)の邸で持仏開眼供養を盛大に開催》

《源氏の君、冷泉院(前冷泉天皇)との対面を終えて世の中の無常を感じる》

《六条院(源氏の君)のご心中では、東宮(今上天皇の皇后)の女御が世に並びない御有様であり、
そのような大事にお育てあげになったかいのある今のめでたさも、またご子息の大将(夕霧)が
格別にぬきんでていらっしゃるご様子も、どちらがどうと優り劣りなくご満足である。
だが、やはりこの冷泉院(前冷泉天皇)にお寄せになるお気持はとりわけ深く、しみじみと
いとしく思わずにはいらっしゃれない。
冷泉院(前冷泉天皇)も、帝(天皇)にご在位のころは、いつも院(源氏の君)の御事を
気がかりにおぼしめされ、ご対面もまれなのがつまらなくご不満であったのだから、
そうすればしじゅうご対面になれようかとのご期待に》・・・・・促されて、こうした気楽な
退位の帝の御身の上に、というおつもりになられたのであった。
 中宮(秋好中宮・冷泉天皇の后)は、今はお里にお退(さが)りになることもかえって
むずかしくなり、普通の臣下の夫婦仲のようにいつもごいっしょなので、
管絃のお遊びをも、かえってご在位中よりも当世風に、にぎやかにお催しになる。
何事につけてもお心のままの境涯ではいらっしゃるものの、ただ、あの世の
母君の御息所(みやすどころ)のお苦しみをお察しになっては、御道心もお進みになるが、
冷泉院のお許し申されるはずもないことなので、ただ功徳(くどく)となる
仏事をひたすらお営みになる。六条院は、・・・・《世の中の無常をお悟りになる》

備考・女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)は、柏木との子を出産した後、出家を決意するが源氏の君に三条院に仏堂を作ることで源氏の君の近くに住むことになる。女三の宮(朱雀天皇の皇女・源氏の君の正室)は、御持仏(守本尊)の数々をお造りになってその開眼のご供養をされる。父朱雀院(前朱雀天皇)や今上天皇から盛大な贈物が贈られた。

現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)

備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。




(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。


《The Bell Cricket(鈴虫)》
It was because he had wanted to be master of his own time and
to see more of Genji that the Reizei emperor had been so eager to abdicate.
Akikonomu found it harder than ever to visit Rokujo.
She was now beside her husband like any ordinary housewife.
There were concerts and other pleasures, and life was in many
ways more interesting than before,
the serenity disturbed only by fears for her mother.
She turned more and more to her prayers,
but had little hope that the Reizei emperor would let her become a nun.


英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)


(2)・自筆の「中国語訳」は次の通りです。


《鈴虫》


中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)


然而秋好皇后反而得了,和冷泉院像普通臣下一般同居共,
游宴之事、管弦之会反比在位。秋好皇后万事心意足,
惟有想起亡母六条妃子在司受苦,出家学佛之志日益起来。
但源氏和冷泉院皆不允,只得多多亡母功德。
不出家,而人世无常之念日益深切。源氏也和秋好皇后同心,
立即准六条

「鈴虫の巻」原本の末尾(原本番号16-A)の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」鈴虫の巻の末尾(原本番号16-A)の押印。
左端の2つの印が仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「鈴虫の巻」末尾の拡大写真。
左上は、「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷ややかに)の印。左下は仙台藩の家紋印
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)


自筆の疎明資料等は、下記の通りです。


(Ⅰ)・上の写真右端は、高松宮「源氏物語」のうち「桐壺」の巻冒頭・(出典資料 別冊「太陽」「源氏物語絵巻五十四帖」(平凡社・刊)78頁。筆者は近衛関白政家公。中央の写真は、応永五年(1398)の年号。年号の左の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)。左の写真は、桐壺の巻の奥付。左大臣から関白に昇進した近衛基熙(もとひろ)公の花押。上下2段の花押のうち、上の印は。出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)、下の印は仙台藩医・木村寿禎の落款(印譜)


「2000円札に描かれた国宝『源氏物語』鈴虫」・「額縁裏面表記ラベル」
「近衛基熙の肖像」

1番上の写真は、2000円札に描かれた国宝「源氏物語」鈴虫
2000年に発行された二千円札の裏には、この国宝「源氏物語絵巻・鈴虫」の第一段
の詞書と、第二段の絵が印刷されています。左が冷泉院(前冷泉天皇)右は源氏の君
2番目の写真は、2000円札に描かれた国宝「源氏物語」鈴虫(拡大)
3番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
4番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図

「源氏物語」「鈴虫の巻」絵図、茶室関係資料

下記写真1段目右の写真は、国立民族学博物館所蔵「源氏物語」のうち「鈴虫の巻」(日本版)の表紙

1段目の左の2枚の写真は「鈴虫の巻」原本の1(上段)、及び原本の2(下段)・国立民族学博物館所蔵


上から2段目の写真は、「淡交」別冊(愛蔵版・№71 『源氏物語』特集)

上から3段目左右の写真は、茶会における大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」を茶道具として用いた茶室の事例


「自筆の画像断層(MRI)写真」

(出品した自筆の「断層画像写真」(鈴虫の巻)MRI 38―15B
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)の落款





大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品
商品説明(来歴)大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。

漢詩文原本自筆上部に「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷やかに)の漢詩の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。柏木は「渚宮(しょきゆう)」におり、「煙波(えんぱ)は冷やや」な地にいる。つまり柏木は決して良い環境にいるわけではないという源氏の君の心境をあらわしている。源氏物語「鈴虫」原本に記されております。紫式部が「鈴虫」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「鈴虫の巻」を書いていることがわかります。

漢詩の落款の意味原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、
「渚宮東面煙波冷」(渚宮(しょきゆう・楚王の宮殿)の東面(とうめん)に煙のように霞んで見える煙波(えんぱ)は冷やかに)の漢詩文の落款が押捺されている。この意味は、柏木は決して良い環境にいるわけではないという源氏の君の心境をあらわしている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために漢詩の「白氏文集」披露したものです。茶会の際に落款に記された由来と内容を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。


自筆の希少価値について自筆の稀少価値は、和紙の生成技法の緻密さにあります。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。

断層(MRI)写真従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。本物を見分けるための欧米の進んだ分析・解析技術を見ることができます。

寸法「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。額縁は新品です。

「源氏物語」の自筆について1・筆跡の分析について
 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。

2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。

3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。

4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている

HP近衛基熙・旧所蔵「源氏物語」自筆を出品いたしました。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。

ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。


不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定

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冷泉院 前冷泉天皇 と大君の間に女宮が誕生 中の君尚侍となる 二人の
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源氏の君、冷泉院(前冷泉天皇)の中宮(秋好中宮・冷泉天皇の后)をお
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第6回 冷泉院(1)|高堀 枝裕二
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冷泉天皇 「容姿端麗だが気の病い」と大鏡は記述するが【平安朝皇位
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最新のクチコミ

★★★★

和三盆糖が 口の中でとろけます。本当に幸せを感じます。

  • きょんxx
  • 23歳
  • アトピー
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購入品

★★★★★

初めて食べたのはかれこれ30年前ぐらいでした。 今でもたまに食べたくなります。 今回は友人達へのプレゼント用として購入しました。 評判も良く気に入ってもらえたようです。 相変わらず優しいお味でホッコリしました。

  • yukinnko9589
  • 31歳
  • アトピー
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購入品

★★★★

思っていたより大きくて立派なお菓子でした。 季節的になかなか店頭で見つけることが出来なかったので、こちらで購入出来て良かったです。

  • korozou0926
  • 39歳
  • アトピー
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購入品

★★★★★

ネコ好きの友人へのプレゼントと、自分用に購入しました。おしゃれなラッピングもしてくださり、ちょっとしたご挨拶にも使えると思います。問題は可愛すぎてなかなか食べられないことです…

  • サリー78877005
  • 27歳
  • アトピー
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購入品

★★★★

お気に入りなので、リピートです。 普段は紅茶派だけど、こちらをいただくときはお抹茶です。 優しい甘さで、本当に美味しくてお抹茶にもぴったりです。 どなたに差し上げても、とても喜ばれるお味だと思います。

  • ならん5505
  • 35歳
  • アトピー
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★★★★★

以前旅行の際に購入してから、時々通販で購入しています。品のある甘さで、お茶との相性がとても良いです。

  • くろしろ号
  • 43歳
  • アトピー
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購入品

★★★★

まだ届いてないのですが…小布施堂のらくがんが楽天で買えるとは嬉しいです。らくがんが嫌いな私もこれだけは好きなのです。優しい甘さ…ホロホロっと溶けてく感じがとっても好きです。亡くなったらくがん好きの父に食べさせたいです。

  • tergetone
  • 31歳
  • アトピー
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★★★★★

国産蜂蜜干し梅、他のお店で頼んでおいしかったので、よりコスパの良い梅を探して、ここで注文。全然届かないので、キャンセルしようと思ったら配送したとのメールが来ました。 美味しいならまぁいいか、と思ってたけど コレ私にはおいしくないです。 よく売られてる中国産の干し梅の方がおいしいです… 届かない上に、美味しくなくてダブルでがっかりしました。

  • HBK&HHH
  • 39歳
  • アトピー
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★★★

ふわふわとしていて ソーダの味も美味しかった♪

  • -jyo-
  • 47歳
  • アトピー
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★★★★★

いきなり食べたくなったとのことで母に頼まれました!大容量でお得だと感じました!

  • 72まめ
  • 35歳
  • アトピー
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★★★★

和菓子ですが、洋皿にも似合い、笑いながらコーヒータイムしました。

  • 綾造
  • 43歳
  • アトピー
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★★★★★

開けたらイメージより小さかったですが(こちらの勝手なイメージ)、切らずにすぐに使える一口サイズになっていたため、手間いらずでうれしい。また少量ずつ包装されていたため、必要な分だけ開けられるのもいい。 味も程良く、お茶のお稽古に使いたいと思います。

  • おでこ0150
  • 31歳
  • アトピー
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★★★★

自分は食べたこたとがないのですが、他の方のレビューを信じて、母の誕生日プレゼントとして購入しました。梱包も丁寧で、サイズも内容量も丁度良かったです。とても喜んでくれました。

  • まるめ8116
  • 39歳
  • アトピー
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★★★★★

和三盆が好きで探していましたら、レビューも良く食べてみたくなり購入しました。 早速、食べてみました。 思った通り美味しいです。 また宜しくお願い致します。

  • BOY0126
  • 47歳
  • アトピー
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